
心ふれあう田園文化都市/三田市のご紹介
![]() 三田の地名の起こりは、金心寺の重要文化財である「弥勒菩薩」の胎生に印されている、 「当地一帯を松山の庄と号す。これを『恩田』、『悲田』、『敬田』の三田を以って三田と改む」から発し、 今から約1300年前、金心寺の門前町として繁栄したと伝えられています。 その後、戦国時代を経て、今から360年前に鳥羽から九鬼久隆候が移封され、 3万6千石の城下町として活気を呈してきました。 |
三田市は、昭和33年に市制が実施され、人口は20年前は約3万5千人であったのが、 北摂ニュータウンの開発が進み、現在は人口11万人を超え、 北摂・丹波の中核都市として旧町とニュータウンとの調和のとれた「心ふれあう田園文化都市」をめざしています。 |