三田市とそこで開業する歯科医師たちの歴史は古く文明開化の時代まで遡る。明治9年(1976年)の「医術開業試験」に合格し、「口中科」の免許を得た三田出身の佐治職先生は、小幡英之助氏についで本邦2番目の歯科医師であり、現三田市の旧市街地で開業していたとの記録がある。
 明治36年(1903年)に大日本歯科医会(日本歯科医師会の前身)設立後、兵庫県でも紆余曲折を経て、大正15年(1926年)に兵庫県歯科医師会が設立された。
 昭和8年(1934年)ごろ、三田市は有馬郡(三田市全域、神戸市北区の東部、西宮市北部)に属し、兵庫県歯科医師会の一支部として活動していた。戦中戦後の混乱期を経て、昭和25年(1950)に有馬郡歯科医師会が誕生し、これが現三田市歯科医師会の前身が産声をあげた年として記録されている。当時は会員18名中、現三田市内では10名の先生方が所属しており、昭和28年(1953年)には、三田市内から故・善入芳治先生が会長に就任された。
 同年、町村合併法「いわゆる昭和の大合併」が施行され有馬郡は町村合併を繰り返した末、昭和33年(1958年)に市制が施行され、現在の三田市域が三田市となった。当時の三田市の人口は32,000人ほどであった。
 昭和48年(1973年)に神戸市北区が兵庫区から分区し、これが三田市のみでの歯科医師会設立のきっかけとなり、昭和49年(1974年)に現在の三田市歯科医師会が会員数11名で発足した。
 昭和57年(1982年)に北摂三田ニュータウン(フラワータウン、ウッディータウン、カルチャータウン、テクノパーク)が街開きするまでは人口は40,000人程度であったが、その後JR福知山線の複線電化、新三田駅が開業などのビッグイベントが三田市の大発展へと導いた。昭和63年(1988年)〜平成9年(1997年)まで、10年連続人口増加率日本一となったのは記憶に新しいところである。現在は11万5,000人の人口を抱えている。
 三田市の発展と同時に当会も飛躍的な急成長を遂げ、昭和61年(1986年)には、会員数14名という少人数ながら第7回兵庫県歯科保健大会を成功裡に終え、平成元年(1989年)には、在宅寝たきり歯科訪問の開始、翌平成2年(1990年)には、寝たきり老人歯科保健モデル事業の指定をうけた。平成5年(1993年)には、阪神7地区役員連絡協議会の当番地区を担当し実績を積み上げてきた。
 三田市の人口増加が落ち着きを見せたころより、当会も市民にとってよりメリットのある質の高い事業を始めようとの機運が高まり、平成13年(2001年)にはホームページの作成、平成14年(2002年)には休日診療制度、平成17年(2005年)には、歯周病健診事業がそれぞれスタートした。平成22年(2010年)には、歯周病健診は歯科口腔健診と名称を変更しより詳細な健診が可能な状態にシフトした。
 平成23年(2011年)からは、妊婦健診の開始と、小学校6年生まで乳幼児医療が拡大され、市民にとってより身近な歯科医療、より親しみやすい歯科医師会が作られてきた。
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